丹波の荘園 そのC
〜武士の登場〜

(写真:氷上町由良)

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口分田は次々と名田(先月号参照)化し班田収授の法は全く行われなくなる。また、藤原氏のような超有力貴族の力が強まるとそれまでの領主であった大寺社や一般貴族の力が衰える。そうした初期荘園の中では農民自身が小さな開発を行って私有化する者も現れ始める。これは口分田に対する名田の関係と同じ。こうした田のことを「治田(はりた)」と呼ぶ。そして、農民や豪族は国司の横暴から自分の土地を守るために武装するようになる。これが武士のはじまりである。つまり、始めの頃の武士は武装した農民だった。

■不輸不入の権
「不輸(ふゆ)」とは税を朝廷におさめなくてもよいという権利。これは有力な貴族や寺社が自分達の収入を増やすために決められ、正確には「不輸(ふゆ)租(そ)」という。「不入」とは役人の立ち入りを拒むことのできる権利で、初期の頃は寺社だけが持っていた。やがて貴族達にも認められるようになった。それは法律を作る人が貴族だったことによる。広い耕作地を持つ豪族や有力農民は、時の権力者であった藤原氏や有力寺院に、あらそって自分の土地を寄進した。
  本来の持ち主(豪族や農民)からすれば、今まで朝廷に納めていた租・庸・調を藤原氏などの有力者に納めるようにしただけ。
こうしておけば国司の横暴や、隣地との争い時に有利となる。なぜなら、その土地は有力者の荘園となり、「不輸・不入の権」を得ることができたからである。一方、貴族や寺院にとっては何もしなくても多くの農産物や特産物が手に入ることとなる。こうして多くの荘園領主が中央の有力者にかわっていく。こうした名目上の領主のことを「本所(ほんじょ)」とか「領家(りょうけ)」と呼ぶ。そして本来の土地の持ち主は「荘官」「下司」「地主」と呼ばれ実質的に荘園を支配した。

■したたかな有力農民
寄進していた先の貴族や寺の勢いが弱まると、寄進先を替えた。なぜなら領主の力が弱まればいくら「不輸・不入の権」を主張しても無視されたからである。そこで、
力を失った貴族や寺社は自らを「預所」と称し、自らが寄進された荘園をさらに有力貴族に寄進した。つまり名目上の持ち主の、そのまた名目上の持ち主・・という形だ。
また、本来の持ち主である荘官の中には寄進先をくら替えするものも出てくる。こうしたことから荘園には複数の名目上の持ち主が現れはじめる。

 

             
 
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