撮影  上井 明 様

 

 近代の煉瓦について その@

 篠山市と氷上郡を結ぶ鐘ケ坂峠に明治16年 (1883) に完成した鐘ケ坂トンネルは、 レンガ積みのトンネルとしては日本で一番最初につくられた。その建築材料「煉瓦」について記している。

・ヨーロッパでは、レンガの生産技術(採砂、準加工、乾燥及び焼成方法)はローマより取り入れられた。煉瓦建築は19世紀まではあまり変化は遂げず、乾燥はそれに適した時期だけ日干しし、焼成は野外にレンガを山積みにして作った窯で焼かれた。特に、イギリスやオランダでは建築に使える石材が少なかったので、煉瓦は建築材料として最もよく使われた。

・煉瓦を装飾ではなく建築構造材として使った煉瓦建築は、幕末まで日本にはなかった。新しい建設材料として幕末、西欧文化とともにもたらされた。記録には、建築用の煉瓦は安政4年(1857)の、徳川幕府 設立の長崎鎔鉄所が最初とされている。しかし、日本では、技術的に難しいとされる「耐火煉瓦」から生産されている。幕末に佐賀、薩摩、長州、水戸といった雄藩が、海防のため全力をあげて建設した。すなわち最初に造られた煉瓦建築は、攘夷に基く大砲製造のため鉄を産する洋式の製鉄炉(反射炉)である。幕末の洋学者たちは、オランダの技術書と首っぴきで、洋式製鉄炉を建設に着手。そして、高温で鉄を溶かす炉の建設材料、耐火煉瓦を苦心の末作り上げた。水戸藩の反射炉の場合野球のベースのような形をした白い色の耐火煉瓦である。嘉永3年(1850年)に佐賀藩が反射炉の建設に、日本で初めて成功していることから、日本で最初に赤煉瓦が生産されたのは、記録にある安政4年までの7年間の間に全国で建設された洋式製鉄炉のどこかで建築用の煉瓦が焼かれた可能性がある。

・記録では安政4年に長崎鎔(製)鉄所を建設するために、オランダ人技術将校ハルデスの指導の下に地元の瓦職人が作ったのが始まりとされている。当時の煉瓦は今の煉瓦より薄くて平らな形をしていたので『こんにゃくれんが』と呼ばれた。お雇い外国人の指導で官営事業を中心に煉瓦の製造、建設が始まったが、日本人の自主開発としては、南部藩の製鉄所(安政4年築造)で、大島高任が焼いたといわれる煉瓦( シャモット煉瓦)が、最初とされている。それはともかく、 煉瓦の製造の始まり、それは我が国での西欧建築の始まりと時期を等しくしている。 西欧建築を建てようとすれば、その基礎素材の煉瓦を製作せねばならなかった。そして、我が国の西欧建築は、住宅や官公の施設といった純然たる建築らしい建築よりも、 むしろ、製鉄所や工場といった生産施設から始まったのである。

 
 

 

             
 
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