出雲の神が息づく丹波

・ 多紀には二大標山(しめやま)がある。一つは三嶽山。ひとつは波賀尾山である。

・ 標山とは、古代民族が定住地を求めて移動した時、目印となった山のこと。三嶽はもと畑山(幡山)といい、波賀尾山とともに的(はが)が語源と云われている。

・ 三嶽山の麓には天孫系の大和の神々(タカミムスビ−イザナギ−アマテラス−ニニギ)、波賀尾山の麓には出雲の神々(カミムスビ−イザナミ−スサノオ−オオナムチ(オオクニヌシ)−オオヤマクイノカミ)で覆われている。出雲系は篠山盆地西側に多く、大山の神田神社=オ オナムチ、波々伯部神社=スサノオ、池尻神社=オオヤマクイ、川内多多奴比神社=スサノオ、沢田神社=コトシロヌシ、丹南の出雲神社=オオナムチに代表される。

・ 実際、神社庁の「神社名鑑」(S36)に記載された西丹 波の神社20社のうち純然な出雲系の神は7社、うち6社は篠山盆地の西側に固まっている。ちょうど古代篠山 盆地が湖水であった事を物語るように篠山盆地を左右二分して分布している。これは古墳分布にも共通する。

・ 古事記に見る四道将軍の一人、ヒコイマス(彦巫)王が丹波鎮撫にきた伝承も丹波は出雲民族の勢力化にあったためと考えられる。日本書紀には、丹波は古くから出雲系の祭祀集団があったことを述べている。そういえば丹波一の宮は、亀岡の式内大社出雲大神宮(祭神=オオナムチ)である。

・ 丹波は、出雲の神の息吹が、今も感じられる地域であり、住民にとっても他地域以上に出雲への親近感があったと想像される。例えば沢田神社のハモ切祭りや池尻神社の人形操りに見るように祭礼にスサノオ伝説を取り上げ、祭りのメインとしたのは、見る方にも演じる方にも納得するものがあったのではなかろうか。磐座を祀る兵主神社も全国17社のうち9社が丹波、但馬、因幡に集中している。これらはタタラの跡地が近接している事も共通し次回述べる丹波の神奈備群も実は出雲系の神々の依り代とした山々が多いのだが…。

撮影  上井 明 様
 

 

             
 
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