丹波の位置と語源
・古代丹波は、中央と出雲を結ぶ上国に位置付けられ、但馬や丹後も含めた11郡から成っていました。その後但馬が独立し、奈良に都のあった713年(和銅6年)には、奥丹波五郡の「丹後」を分離し、海の無い山の国となりました。
・現在の丹波地域は、兵庫県と京都にまたがっていますが、近世は亀岡を中心とする「口丹波」、園部・綾部・福知山の「中丹波」、そして加古川水系となる兵庫県の多紀(篠山市)と氷上郡からなる「西丹波」の三地域で構成されていました。何れも王城の都「京」から見た呼称ですが、京の影響を強く受けた口丹波や中丹波に比べ、兵庫丹波は京だけでなく摂津や播磨そして出雲と結ぶ但馬とも結びついて、独自の文化圏を形成してきたとされています。
・丹波の名称については、諸説ありますが、但馬が「谿間(タニマ)」とすれば、丹波は古来から水田の開かれた「田庭(タニワ)」が最もふさわしいように思います。 |